パリの新聞社襲撃事件についての感想(言論の自由をと相手を認め合うことについて)

Posted by wonderegg on 2015年1月24日 in 未分類 | Short Link

 今日の新聞のコラム欄に幕末の荒れ寺のことについて書いてあった。それによると幕末に各国と通商条約を結んだため領事館が必要となり、寺を借りて領事館にしたとのこと。なかには、キリスト教の宣教師に貸した寺もあり本堂の仏像はかたずけられたのことであるが、寺側は賃貸料が入ってくるので、ほくほくしていたとのこと。融通無碍は
当時の日本人にはあったようだとのこと。しかしパリの新聞社襲撃事件は譲れない一線があるのだろうとも書いてあったようだ。
 越えられない一線があるとしても暴力で相手を黙らせるのはよくないのだろう。相手の言い分をきくべきであり、それに対して反論なり、譲れないものがあるのならそろを言論で行うことが肝要なのであろう。暴力に訴えることは、それを行った人なり集団なりの存在をうたがわれたり、余分な誤解を生むものであろう。地道に話し合いで行うことがよいのであろう。人はそれ程完璧だはないし、失敗もするのであることを自覚していればそれ程気にならないのであろうが、神の分野となると譲れられなくなるのであろう。
 また批判する側もその相手の譲れないものに対して考慮しなければならないのであろう。以上が私の感じたことを書いたのである。

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